| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1964-8-24-0 | 豪雨、午前中一部の列車は運転したが、肥薩線・湯前線とも不通となる | 上り「えびの」号は球磨川増水のため人吉で折り返し山野線経由で運転 | |
| 1964-10-1-0 | 準急「くまがわ」号が上り下りとも坂本駅に停車するようになる | 東海道新幹線東京・新大阪間開通、「ひかり」14往復(所要4時間)、「こだま」12往復(所要5時間) 新大阪・博多間に特急「つばめ」新設、直流電車のため下関・博多間は電気機関車牽引(翌年交直流電車となり名古屋・熊本間、後に岡山・熊本間、西鹿児島まで延長などと変遷) 国鉄西部支社では本州乗り入れを除き九州内急行のヘッドマークを廃止 | |
| 1964-10-10-0 | 東京オリンピック開催(24日まで) | ||
| 1964-10-31-0 | 関門航路下関・門司港間廃止 | ||
| 1965-4-15-0 | 大畑・矢岳間で山林火災発生、一時不通となる | 国有林10ha、私有林20ha焼失 | |
| 1965-4-23-0 | 人吉機関区で動労が半日ストに突入 | 人吉機関区が九州で唯一の拠点 | |
| 1965-5-14-0 | 下り急行「霧島」が肥薩線経由で運転される | 鹿児島本線が薩摩大川・西方間での土砂崩れによる不通のため | |
| 1965-6-8-0 | 人吉・大畑間土丈原(どじょうばる)下の沿線火災発生 | 40アール原野焼失 | |
| 1965-7-3-0 | 球磨川大洪水で渡駅はホームから約1mの高さまで水没、瀬戸石駅で114列車立往生、駅舎流出、7日復旧するも徐行運転で運休多数、湯前線川村付近で線路流失、12日復旧 | 集中豪雨で球磨川氾濫、人吉市内死者2人、家屋の流出・全壊37戸、半壊846戸、床上浸水2363戸、西瀬橋が流失、後に「7.3水害」と呼ばれる | |
| 1965-10-1-0 | 時刻改正、下り準急「くまがわ」号人吉から一部普通列車として湯前線に乗り入れるようになる | 関西・九州間初の寝台特急「あかつき」が新大阪・西鹿児島および長崎間に新設、鹿児島本線熊本まで電化、全国主要駅に「みどりの窓口」設置 | |
| 1965-11-1-0 | 初の肥薩線経由の阿蘇・熊本・西鹿児島間準急として811D・812D「やたけ」号運転開始 | 下りは阿蘇・西鹿児島間運転 上りは西鹿児島・熊本間運転 | |
| 1965-12-26-0 | 臨時急行「ひとよし」号大阪・人吉間に年末年始の帰省客用として客車の夜行列車で運転開始、肥薩線初の急行となる | 肥薩線は8620形式が牽引、本線では年により西鹿児島や長崎からの「第3しろやま」「あまみ」「西海」などと併結 | |
| 1966-1-31-0 | 人吉機関区最初のC55形式C553号配置(翌月にC5510号など6輌が入り計7輌配置) | 老朽化した8620形式と置き換えられ川線で運用、8620形式は湯前線で運用される2輌に減 | |
| 1966-2-8-0 | 鹿児島本線水害のため、特急「かもめ」が肥薩線を迂回する | キハ82ほか編成の京都・長崎および西鹿児島間ロングラン気動車特急 | |
| 1966-3-5-0 | 運転距離100km以上の準急が急行に格上げ、「くまがわ」号・「えびの」号・「やたけ」号も急行となる | 下り急行「やたけ」号の始発駅が阿蘇から宮地に延長 | |
| 1966-3-12-0 | 人吉機関区最初のC57形式C57132号配置、8620、D51、C55、C57の4機種が揃う | 幹線でEL化・DL化が進み、かつての花形C57もローカル線に入る この年人吉09662でダイヤル化 | |
| 1966-10-0-0 | DLのDE10形式誕生、非電化支線投入でSLとの置き換えが進む | ||
| 1966-12-1-0 | 「くまがわ」号湯前線乗り入れの際、下りも東人吉に停車するようになる | 従来は上りのみ東人吉に停車していた | |
| 1966-12-25-0 | 臨時急行「ひとよし」号C55牽引 | 至12月31日と1月5日~7日 | |
| 1967-3-15-0 | 人吉駅腕木式信号機廃止、色灯式信号機設置 | 3月9日~21日肥薩線全線 3月22日~24日湯前線全線 | |
| 1967-7-1-0 | 人吉・熊本間産交快速バス運行開始 | ||
| 1967-7-5-0 | 大野第2トンネルで下り混合列車が立往生、かろうじて退行し外に出る | 機関士(重体)・助士ともガス中毒、乗客は無事、車掌が矢岳駅に通報 | |
| 1967-9-29-0 | 人吉機関区に新型1等車キロ28-28、30日キロ28-73を配置 | キロ25は座席指定車に格下げ、キハ26-400代となる | |
| 1967-10-1-0 | 急行「やたけ」号下り始発駅が短縮され、熊本・西鹿児島間運転となる | 国鉄バス湯前・宮崎間直通2往復運転開始 | |
| 1967-11-7-0 | 矢岳第2トンネルで4輌編成の上り列車が空転し停車、退行し外に出る | 乗務員窒息寸前となるも無事、付近をレール交換したばかりが原因か | |
| 1968-2-21-0 | M6.3の「えびの地震」が発生、人吉で8時51分と10時45分の2回震度5を観測、人吉・吉松間不通となるも復旧、翌日19時19分震度4で再度不通、24日夜に復旧 | 121レ真幸で立ち往生人吉へ戻る えびの町真幸地区では震度6を観測、えびの町や吉松町で死者3名、負傷者44名、建物の全壊368棟、半壊636棟、吉都線の被害大 | |
| 1968-3-23-0 | 国労および動労の「3.23順法スト」で人吉が拠点の一つとなり、半日ストで列車2本に遅れが出る | この頃国鉄合理化計画で労使間対立が激しく、人吉では2日前にも当局の乗務員手配ミスでトラブル発生 | |
| 1968-4-8-0 | 6日、7日、8日と3日連続大畑付近で沿線火災発生、うち7日と8日は2~4時間不通、国有林と私有林合わせて山林56ヘクタール焼失、2千万円超の被害額となる | 数年前から火災が続きSLにも疑いが向けられたが、火の手はSLより風上側、ワラビ採りのハイカーや地元民も通る線路沿いに煙草の吸殻が多数落ちているなどで国鉄は否定 | |
| 1968-4-9-0 | 球磨川沿岸道路10年かけ全線開通 | ||
| 1968-4-13-0 | 吉松駅鉄筋コンクリート2階建新築 |
| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1964-8-24-0 | 豪雨、午前中一部の列車は運転したが、肥薩線・湯前線とも不通となる | 上り「えびの」号は球磨川増水のため人吉で折り返し山野線経由で運転 | |
| 1964-10-1-0 | 準急「くまがわ」号が上り下りとも坂本駅に停車するようになる | 東海道新幹線東京・新大阪間開通、「ひかり」14往復(所要4時間)、「こだま」12往復(所要5時間) 新大阪・博多間に特急「つばめ」新設、直流電車のため下関・博多間は電気機関車牽引(翌年交直流電車となり名古屋・熊本間、後に岡山・熊本間、西鹿児島まで延長などと変遷) 国鉄西部支社では本州乗り入れを除き九州内急行のヘッドマークを廃止 | |
| 1964-10-10-0 | 東京オリンピック開催(24日まで) | ||
| 1964-10-31-0 | 関門航路下関・門司港間廃止 | ||
| 1965-4-15-0 | 大畑・矢岳間で山林火災発生、一時不通となる | 国有林10ha、私有林20ha焼失 | |
| 1965-4-23-0 | 人吉機関区で動労が半日ストに突入 | 人吉機関区が九州で唯一の拠点 | |
| 1965-5-14-0 | 下り急行「霧島」が肥薩線経由で運転される | 鹿児島本線が薩摩大川・西方間での土砂崩れによる不通のため | |
| 1965-6-8-0 | 人吉・大畑間土丈原(どじょうばる)下の沿線火災発生 | 40アール原野焼失 | |
| 1965-7-3-0 | 球磨川大洪水で渡駅はホームから約1mの高さまで水没、瀬戸石駅で114列車立往生、駅舎流出、7日復旧するも徐行運転で運休多数、湯前線川村付近で線路流失、12日復旧 | 集中豪雨で球磨川氾濫、人吉市内死者2人、家屋の流出・全壊37戸、半壊846戸、床上浸水2363戸、西瀬橋が流失、後に「7.3水害」と呼ばれる | |
| 1965-10-1-0 | 時刻改正、下り準急「くまがわ」号人吉から一部普通列車として湯前線に乗り入れるようになる | 関西・九州間初の寝台特急「あかつき」が新大阪・西鹿児島および長崎間に新設、鹿児島本線熊本まで電化、全国主要駅に「みどりの窓口」設置 | |
| 1965-11-1-0 | 初の肥薩線経由の阿蘇・熊本・西鹿児島間準急として811D・812D「やたけ」号運転開始 | 下りは阿蘇・西鹿児島間運転 上りは西鹿児島・熊本間運転 | |
| 1965-12-26-0 | 臨時急行「ひとよし」号大阪・人吉間に年末年始の帰省客用として客車の夜行列車で運転開始、肥薩線初の急行となる | 肥薩線は8620形式が牽引、本線では年により西鹿児島や長崎からの「第3しろやま」「あまみ」「西海」などと併結 | |
| 1966-1-31-0 | 人吉機関区最初のC55形式C553号配置(翌月にC5510号など6輌が入り計7輌配置) | 老朽化した8620形式と置き換えられ川線で運用、8620形式は湯前線で運用される2輌に減 | |
| 1966-2-8-0 | 鹿児島本線水害のため、特急「かもめ」が肥薩線を迂回する | キハ82ほか編成の京都・長崎および西鹿児島間ロングラン気動車特急 | |
| 1966-3-5-0 | 運転距離100km以上の準急が急行に格上げ、「くまがわ」号・「えびの」号・「やたけ」号も急行となる | 下り急行「やたけ」号の始発駅が阿蘇から宮地に延長 | |
| 1966-3-12-0 | 人吉機関区最初のC57形式C57132号配置、8620、D51、C55、C57の4機種が揃う | 幹線でEL化・DL化が進み、かつての花形C57もローカル線に入る この年人吉09662でダイヤル化 | |
| 1966-10-0-0 | DLのDE10形式誕生、非電化支線投入でSLとの置き換えが進む | ||
| 1966-12-1-0 | 「くまがわ」号湯前線乗り入れの際、下りも東人吉に停車するようになる | 従来は上りのみ東人吉に停車していた | |
| 1966-12-25-0 | 臨時急行「ひとよし」号C55牽引 | 至12月31日と1月5日~7日 | |
| 1967-3-15-0 | 人吉駅腕木式信号機廃止、色灯式信号機設置 | 3月9日~21日肥薩線全線 3月22日~24日湯前線全線 | |
| 1967-7-1-0 | 人吉・熊本間産交快速バス運行開始 | ||
| 1967-7-5-0 | 大野第2トンネルで下り混合列車が立往生、かろうじて退行し外に出る | 機関士(重体)・助士ともガス中毒、乗客は無事、車掌が矢岳駅に通報 | |
| 1967-9-29-0 | 人吉機関区に新型1等車キロ28-28、30日キロ28-73を配置 | キロ25は座席指定車に格下げ、キハ26-400代となる | |
| 1967-10-1-0 | 急行「やたけ」号下り始発駅が短縮され、熊本・西鹿児島間運転となる | 国鉄バス湯前・宮崎間直通2往復運転開始 | |
| 1967-11-7-0 | 矢岳第2トンネルで4輌編成の上り列車が空転し停車、退行し外に出る | 乗務員窒息寸前となるも無事、付近をレール交換したばかりが原因か | |
| 1968-2-21-0 | M6.3の「えびの地震」が発生、人吉で8時51分と10時45分の2回震度5を観測、人吉・吉松間不通となるも復旧、翌日19時19分震度4で再度不通、24日夜に復旧 | 121レ真幸で立ち往生人吉へ戻る えびの町真幸地区では震度6を観測、えびの町や吉松町で死者3名、負傷者44名、建物の全壊368棟、半壊636棟、吉都線の被害大 | |
| 1968-3-23-0 | 国労および動労の「3.23順法スト」で人吉が拠点の一つとなり、半日ストで列車2本に遅れが出る | この頃国鉄合理化計画で労使間対立が激しく、人吉では2日前にも当局の乗務員手配ミスでトラブル発生 | |
| 1968-4-8-0 | 6日、7日、8日と3日連続大畑付近で沿線火災発生、うち7日と8日は2~4時間不通、国有林と私有林合わせて山林56ヘクタール焼失、2千万円超の被害額となる | 数年前から火災が続きSLにも疑いが向けられたが、火の手はSLより風上側、ワラビ採りのハイカーや地元民も通る線路沿いに煙草の吸殻が多数落ちているなどで国鉄は否定 | |
| 1968-4-9-0 | 球磨川沿岸道路10年かけ全線開通 | ||
| 1968-4-13-0 | 吉松駅鉄筋コンクリート2階建新築 |