| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1982-7-25-0 | 豪雨のため再び肥薩線不通となる | 8月4日肥薩線復旧し開通 | |
| 1982-10-12-0 | 人吉鉄道診療所が閉院 | 1926年(大正15年)4月開業から56年6ヶ月で幕を閉じる | |
| 1982-11-15-0 | 全国時刻大改正 人吉駅貨物取扱業務廃止 | 東北新幹線、大宮・盛岡間本格営業 上越新幹線、大宮・新潟間開業 | |
| 1982-11-16-0 | 八代・人吉間貨物列車1往復となる | ||
| 1983-1-21-0 | 人吉機関区救援車スエ3133廃車 | オエ6169と交換 | |
| 1983-1-29-0 | 人吉機関区転車台入換事故で破損 | 1月31日から2月5日まで補修 | |
| 1983-4-16-0 | (この月坂本駅と製紙工場の貨物専用線廃止、明治以来の歴史を終える) | 国鉄が翌年2月までに全国の荷物取扱駅を6割削減することを発表 | |
| 1983-5-20-0 | 「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法」公布 | ||
| 1983-5-26-0 | 秋田県沖でM7.7の「日本海中部地震」発生 | ||
| 1983-6-10-0 | 総理府「国鉄再建監理委員会」設置 | ||
| 1983-6-17-0 | 湯前線仁原川橋梁新橋桁と取替え | 多良木・東多良木間(工事翌亘る) | |
| 1983-7-20-0 | 「青春18きっぷ」発売開始 | ||
| 1983-7-31-0 | ブルートレインKKT人吉わくわく号熊本・人吉間250人を乗せ運転 | くまもと県民テレビの夏休み子ども向け企画で4年後の夏まで続いた | |
| 1983-10-3-0 | 三宅島21年ぶりに噴火、この後島民長い間避難生活をすることになる | ||
| 1983-10-12-0 | ロッキード裁判第1審、田中角栄元首相ら5人に有罪判決 | ||
| 1983-10-23-0 | 北海道の白糠線廃止、第1次特定地方交通線バス転換第1号となる | ||
| 1984-1-24-0 | 人吉・矢岳間キハ52形式走行試験 | キハ52-112 | |
| 1984-1-28-0 | 湯前線にDE10形式入線試験 | ||
| 1984-1-30-0 | 人吉・八代間にDE101757号牽引の880列車が最後の貨車を連結して走り、川線貨物列車廃止 | 人吉駅貨物取扱業務は1月26日に終了、27日からは駅構内の貨車を回送、30日実質最終、31日単行 | |
| 1984-2-1-0 | 「くまがわ」号グリーン車廃止で6輌編成となり、これまで一部湯前線に普通列車で乗り入れていたのを、朝は全車輌湯前線を普通列車で往復した後「くまがわ」号に、夕方は人吉到着後4輌湯前線と2輌人吉・吉松間に普通列車で往復運転になる 人吉機関区配置は「くまがわ」号編成減と山線普通列車がキハ52形式1輌運転で、8輌減の35輌となる 人吉機関区定員は18名減の117名に人吉客貨車支区が機関区に統合され車電グループとなった6名を加えて計123名となる 肥薩線一勝地駅、渡駅、湯前線免田駅、多良木駅、湯前駅(民間委託)小荷物扱い廃止、人吉駅のみとなる | 時刻改正、九州内DC急行のグリーン車は全て廃止(下り「えびの1号」「えびの3号」「えびの5号」上り「えびの2号」「えびの4号」「えびの6号」もグリーン車廃止) | |
| 0-0-0-0 | 国鉄が「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始し、郷ひろみの「2億4千万の瞳」がCMソングに用いられる | ||
| 0-0-0-0 | 人吉駅の定員は57名から12名減の45名とピーク時の半数となる | ||
| 0-0-0-0 | 人吉車掌派出所は熊本車掌区に統合され、八代および荒尾機関支区は熊本機関区に統合される | ||
| 0-0-0-0 | 一勝地駅1名、渡駅1名、免田駅3名、多良木駅2名の計7名削減 | ||
| 0-0-0-0 | 国鉄バス人吉駅・温泉町間廃止 | ||
| 1984-2-5-0 | 人吉に盛岡客貨車区よりキハ52-35、36、38、40を配置 | 1961年(昭和36年)新潟鉄工所製、両運転台2台エンジン搭載 | |
| 1984-2-10-0 | 山線キハ52形式1輌運転開始 | 実際は前日にも使用 | |
| 1984-3-18-0 | 免田駅で湯前線開通60周年記念式典が行なわれる | 「記念入場券」の写真提供の福井弘さんへの管理局長(代理駅長)表彰 | |
| 1984-3-28-0 | 湯前線開業60周年記念「SLの旅号」運転(30日までの2泊3日) | 湯前(DC)→小郡「SL山口号」→津和野(DC)→東萩→湯前 | |
| 1984-3-30-0 | 湯前線開通60周年記念式典が免田駅と多良木駅で行なわれ、「湯前線開通60周年記念入場券」を人吉駅、免田駅、多良木駅、湯前駅で発売 (各駅3枚セット) | 多良木駅一日駅長を久保田多良木町長、免田駅一日駅長を松本免田町長、一日助役を上薄免田町助役、一日改札係を石山免田町婦人会長が務める |
| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1982-7-25-0 | 豪雨のため再び肥薩線不通となる | 8月4日肥薩線復旧し開通 | |
| 1982-10-12-0 | 人吉鉄道診療所が閉院 | 1926年(大正15年)4月開業から56年6ヶ月で幕を閉じる | |
| 1982-11-15-0 | 全国時刻大改正 人吉駅貨物取扱業務廃止 | 東北新幹線、大宮・盛岡間本格営業 上越新幹線、大宮・新潟間開業 | |
| 1982-11-16-0 | 八代・人吉間貨物列車1往復となる | ||
| 1983-1-21-0 | 人吉機関区救援車スエ3133廃車 | オエ6169と交換 | |
| 1983-1-29-0 | 人吉機関区転車台入換事故で破損 | 1月31日から2月5日まで補修 | |
| 1983-4-16-0 | (この月坂本駅と製紙工場の貨物専用線廃止、明治以来の歴史を終える) | 国鉄が翌年2月までに全国の荷物取扱駅を6割削減することを発表 | |
| 1983-5-20-0 | 「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法」公布 | ||
| 1983-5-26-0 | 秋田県沖でM7.7の「日本海中部地震」発生 | ||
| 1983-6-10-0 | 総理府「国鉄再建監理委員会」設置 | ||
| 1983-6-17-0 | 湯前線仁原川橋梁新橋桁と取替え | 多良木・東多良木間(工事翌亘る) | |
| 1983-7-20-0 | 「青春18きっぷ」発売開始 | ||
| 1983-7-31-0 | ブルートレインKKT人吉わくわく号熊本・人吉間250人を乗せ運転 | くまもと県民テレビの夏休み子ども向け企画で4年後の夏まで続いた | |
| 1983-10-3-0 | 三宅島21年ぶりに噴火、この後島民長い間避難生活をすることになる | ||
| 1983-10-12-0 | ロッキード裁判第1審、田中角栄元首相ら5人に有罪判決 | ||
| 1983-10-23-0 | 北海道の白糠線廃止、第1次特定地方交通線バス転換第1号となる | ||
| 1984-1-24-0 | 人吉・矢岳間キハ52形式走行試験 | キハ52-112 | |
| 1984-1-28-0 | 湯前線にDE10形式入線試験 | ||
| 1984-1-30-0 | 人吉・八代間にDE101757号牽引の880列車が最後の貨車を連結して走り、川線貨物列車廃止 | 人吉駅貨物取扱業務は1月26日に終了、27日からは駅構内の貨車を回送、30日実質最終、31日単行 | |
| 1984-2-1-0 | 「くまがわ」号グリーン車廃止で6輌編成となり、これまで一部湯前線に普通列車で乗り入れていたのを、朝は全車輌湯前線を普通列車で往復した後「くまがわ」号に、夕方は人吉到着後4輌湯前線と2輌人吉・吉松間に普通列車で往復運転になる 人吉機関区配置は「くまがわ」号編成減と山線普通列車がキハ52形式1輌運転で、8輌減の35輌となる 人吉機関区定員は18名減の117名に人吉客貨車支区が機関区に統合され車電グループとなった6名を加えて計123名となる 肥薩線一勝地駅、渡駅、湯前線免田駅、多良木駅、湯前駅(民間委託)小荷物扱い廃止、人吉駅のみとなる | 時刻改正、九州内DC急行のグリーン車は全て廃止(下り「えびの1号」「えびの3号」「えびの5号」上り「えびの2号」「えびの4号」「えびの6号」もグリーン車廃止) | |
| 0-0-0-0 | 国鉄が「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始し、郷ひろみの「2億4千万の瞳」がCMソングに用いられる | ||
| 0-0-0-0 | 人吉駅の定員は57名から12名減の45名とピーク時の半数となる | ||
| 0-0-0-0 | 人吉車掌派出所は熊本車掌区に統合され、八代および荒尾機関支区は熊本機関区に統合される | ||
| 0-0-0-0 | 一勝地駅1名、渡駅1名、免田駅3名、多良木駅2名の計7名削減 | ||
| 0-0-0-0 | 国鉄バス人吉駅・温泉町間廃止 | ||
| 1984-2-5-0 | 人吉に盛岡客貨車区よりキハ52-35、36、38、40を配置 | 1961年(昭和36年)新潟鉄工所製、両運転台2台エンジン搭載 | |
| 1984-2-10-0 | 山線キハ52形式1輌運転開始 | 実際は前日にも使用 | |
| 1984-3-18-0 | 免田駅で湯前線開通60周年記念式典が行なわれる | 「記念入場券」の写真提供の福井弘さんへの管理局長(代理駅長)表彰 | |
| 1984-3-28-0 | 湯前線開業60周年記念「SLの旅号」運転(30日までの2泊3日) | 湯前(DC)→小郡「SL山口号」→津和野(DC)→東萩→湯前 | |
| 1984-3-30-0 | 湯前線開通60周年記念式典が免田駅と多良木駅で行なわれ、「湯前線開通60周年記念入場券」を人吉駅、免田駅、多良木駅、湯前駅で発売 (各駅3枚セット) | 多良木駅一日駅長を久保田多良木町長、免田駅一日駅長を松本免田町長、一日助役を上薄免田町助役、一日改札係を石山免田町婦人会長が務める |