| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1912-1-11-0 | 大畑・矢岳間に於いて3100号機左側「サイドロット」折損、原因はストラップ子ック下方よりの自然疵 | 記録に残る人吉機関庫最初の車両故障事故 ※「子」の読みは「ネ」 | |
| 1912-7-21-0 | 時刻改正、門司(現門司港)・鹿児島間急行1・2列車(洋食堂車付・人吉以南は各停)11時間37分運転、門司(現門司港)・鹿児島間夜行5・6列車(1等寝台食堂車付)、門司(現門司港)・鹿児島、門司(現門司港)・人吉、博多・鹿児島、熊本・鹿児島各1往復運転 | 列車番号に1番と2番が付き当時九州での最優等列車となる | |
| 1912-7-30-0 | 明治天皇崩御 | ||
| 1912-7-31-0 | 元号が「大正」と改元される | ||
| 1912-9-14-0 | 明治天皇大喪列車運転のため午前0時を期して3分間全列車の運行停止 | ||
| 1912-10-1-0 | 駅、機関庫、列車乗務員時計整時法を制定 | ||
| 1912-10-8-0 | 熊本県に初めての自動車が登場 | ||
| 1912-11-18-0 | 機関庫物品取扱心得制定 | ||
| 1912-12-21-0 | 後藤新平が逓信大臣兼総裁に就任 | ||
| 1913-3-11-0 | 那良口駅で旅客取扱も開始 | この年1月に人吉機関庫旧車庫(木造)で上熊本駅貨物倉庫を建設 | |
| 1913-10-8-0 | 宮崎線の吉松・都城間(現吉都線)が開通 | ||
| 1913-11-25-0 | 時刻改正、門司(現門司港)・鹿児島間急行1・2列車(洋食堂車付)10時間33分運転、門司(現門司港)・鹿児島間夜行5・6列車(1等寝台車・洋食堂車付)、門司(現門司港)・鹿児島、長崎・鹿児島、熊本・鹿児島間各1往復運転、門司(現門司港)・人吉間2往復運転、鳥栖(上り博多終着)・鹿児島間運転 | 門司(現門司港)・熊本間は急行券が必要 | |
| 0-0-0-0 | この年5月5日鉄道院官制が改正され、帝国鉄道庁九州帝国鉄道管理局から鉄道院九州鉄道管理局と改称、所在地は門司、管理区域は九州全線となる(これにより九州の鉄道も全ての面に亘り全国的な企画に統一) | ||
| 1913-12-0-0 | 貨物用蒸気機関車9600形式(キュウロク)国産初の量産化開始 | ||
| 1914-1-12-0 | 午前10時5分桜島大噴火、鉄道にもこの日午後6時29分の地震により多くの被害発生、人吉からも矢岳方面の空に噴煙が昇るのが見られ、大噴火は18日まで続いたが、鹿児島本線は1月14日には復旧 | ||
| 1914-1-16-0 | 人吉機関庫より鹿児島機関庫へ大噴火被害の臨時運転助勢のため出張 | 乗務員二組と3104号機 | |
| 1914-2-8-0 | 人吉駅構内一部と事務室に電灯点灯 | 前年12月1日大塚発電所による発電で人吉水力電気株式会社営業開始 | |
| 1914-4-7-0 | 一勝地駅午前4時半に出火し全焼(秋までに建て直される) | この月旅客用蒸気機関車8620形式(ハチロク)国産初の量産化開始 | |
| 1914-4-8-0 | 人吉・吉松間急勾配線用として、川崎造船所兵庫工場製4110形式タンク機関車6輌、同工場より無火回送、関門渡船、大里を経て機関庫に収容(出典の機関庫史に8日とある) | 別の詳細な人吉機関区資料には4月10日4111号、4114号、11日4113号、4115号、21日4110号、26日4112号と最初の6輌が記録され、6月25日4134号、7月13日4136号、15日4135号、21日4137号、8月11日4138号、12日4139号と続き、大正6年6月15日4147号、30日4148号の2輌も含め4110形式計14輌の新製配置から廃車・転出まで記録してあり、こちらの方が正しい | |
| 1914-4-20-0 | 人吉・吉松間にて4110形式29日まで試運転 人吉機関庫配置機関車テンダー10輌、タンク16輌、計26輌(タンク16輌のうち6輌が4110形式で、4110号は人吉機関区史上唯一の新製配置トップナンバーSL) | ||
| 1914-6-3-0 | 午前9時より天候悪く暴風雨来襲猛烈を極め、真幸駅を発車した3103号機の244列車は、避難のいとまもなく客車4台中3台が転覆、旅客13人中1人軽傷、八代発5725号機の202列車は、停車中暴風雨を受け客車5台、貨車1台転覆、乗客7人なるも無事 | 244列車の客車ホハ6789+オロハ15872+ホユニ8699+オハフ7750 この3103号機が人吉機関庫史に見られる3100形式についての最後の記録で、4110形式の配置により、この頃から大正4年にかけて全て転出したものと思われる | |
| 1914-7-28-0 | 第1次世界大戦ヨーロッパで勃発 | ||
| 1914-8-25-0 | 人吉機関庫から乗務員4組と検車手1名を早岐機関庫へ出張させる | 23日日本がドイツに宣戦布告、長崎線での特別輸送が開始されたため | |
| 1914-10-2-0 | 4110型のカーブでのタイヤフランジ偏耗が大きく、輌数が少ない列車は人吉・吉松間前向き運転とする | 山線は急勾配が続きトンネルが多いために運転台の煤煙対策として後ろ向き運転を原則としていた | |
| 1914-12-20-0 | 東京駅開業、東海道線の起点となり、呉服橋(仮)を廃止、新橋を汐留、烏森を新橋と改称 | ||
| 1914-12-0-0 | 人吉機関庫配置機関車タンク13輌、テンダー10輌、計23輌 | タンク4110形12輌と3100形1輌、テンダー全て5700形 | |
| 1915-3-31-0 | 人吉駅上り乗降場(1番ホーム)洗面所改築工事竣成 | 下り乗降場(2・3番ホーム)洗面所も9月6日改築工事竣工、冬期にお湯が提供できるようになる | |
| 1915-4-13-0 | 矢岳トンネル西坑門口隧道開閉幕取扱廃止 | この年機関車の輸入を止め、全て国産化となる | |
| 1915-12-21-0 | 人吉駅貨物取扱室4坪拡張工事落成 | ||
| 1916-3-28-0 | 人吉駅跨線橋が建設され、4月5日から使用開始 | 上り乗降場(1番ホーム)と下り乗降場(2・3番ホーム)をつなぐ |
| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1912-1-11-0 | 大畑・矢岳間に於いて3100号機左側「サイドロット」折損、原因はストラップ子ック下方よりの自然疵 | 記録に残る人吉機関庫最初の車両故障事故 ※「子」の読みは「ネ」 | |
| 1912-7-21-0 | 時刻改正、門司(現門司港)・鹿児島間急行1・2列車(洋食堂車付・人吉以南は各停)11時間37分運転、門司(現門司港)・鹿児島間夜行5・6列車(1等寝台食堂車付)、門司(現門司港)・鹿児島、門司(現門司港)・人吉、博多・鹿児島、熊本・鹿児島各1往復運転 | 列車番号に1番と2番が付き当時九州での最優等列車となる | |
| 1912-7-30-0 | 明治天皇崩御 | ||
| 1912-7-31-0 | 元号が「大正」と改元される | ||
| 1912-9-14-0 | 明治天皇大喪列車運転のため午前0時を期して3分間全列車の運行停止 | ||
| 1912-10-1-0 | 駅、機関庫、列車乗務員時計整時法を制定 | ||
| 1912-10-8-0 | 熊本県に初めての自動車が登場 | ||
| 1912-11-18-0 | 機関庫物品取扱心得制定 | ||
| 1912-12-21-0 | 後藤新平が逓信大臣兼総裁に就任 | ||
| 1913-3-11-0 | 那良口駅で旅客取扱も開始 | この年1月に人吉機関庫旧車庫(木造)で上熊本駅貨物倉庫を建設 | |
| 1913-10-8-0 | 宮崎線の吉松・都城間(現吉都線)が開通 | ||
| 1913-11-25-0 | 時刻改正、門司(現門司港)・鹿児島間急行1・2列車(洋食堂車付)10時間33分運転、門司(現門司港)・鹿児島間夜行5・6列車(1等寝台車・洋食堂車付)、門司(現門司港)・鹿児島、長崎・鹿児島、熊本・鹿児島間各1往復運転、門司(現門司港)・人吉間2往復運転、鳥栖(上り博多終着)・鹿児島間運転 | 門司(現門司港)・熊本間は急行券が必要 | |
| 0-0-0-0 | この年5月5日鉄道院官制が改正され、帝国鉄道庁九州帝国鉄道管理局から鉄道院九州鉄道管理局と改称、所在地は門司、管理区域は九州全線となる(これにより九州の鉄道も全ての面に亘り全国的な企画に統一) | ||
| 1913-12-0-0 | 貨物用蒸気機関車9600形式(キュウロク)国産初の量産化開始 | ||
| 1914-1-12-0 | 午前10時5分桜島大噴火、鉄道にもこの日午後6時29分の地震により多くの被害発生、人吉からも矢岳方面の空に噴煙が昇るのが見られ、大噴火は18日まで続いたが、鹿児島本線は1月14日には復旧 | ||
| 1914-1-16-0 | 人吉機関庫より鹿児島機関庫へ大噴火被害の臨時運転助勢のため出張 | 乗務員二組と3104号機 | |
| 1914-2-8-0 | 人吉駅構内一部と事務室に電灯点灯 | 前年12月1日大塚発電所による発電で人吉水力電気株式会社営業開始 | |
| 1914-4-7-0 | 一勝地駅午前4時半に出火し全焼(秋までに建て直される) | この月旅客用蒸気機関車8620形式(ハチロク)国産初の量産化開始 | |
| 1914-4-8-0 | 人吉・吉松間急勾配線用として、川崎造船所兵庫工場製4110形式タンク機関車6輌、同工場より無火回送、関門渡船、大里を経て機関庫に収容(出典の機関庫史に8日とある) | 別の詳細な人吉機関区資料には4月10日4111号、4114号、11日4113号、4115号、21日4110号、26日4112号と最初の6輌が記録され、6月25日4134号、7月13日4136号、15日4135号、21日4137号、8月11日4138号、12日4139号と続き、大正6年6月15日4147号、30日4148号の2輌も含め4110形式計14輌の新製配置から廃車・転出まで記録してあり、こちらの方が正しい | |
| 1914-4-20-0 | 人吉・吉松間にて4110形式29日まで試運転 人吉機関庫配置機関車テンダー10輌、タンク16輌、計26輌(タンク16輌のうち6輌が4110形式で、4110号は人吉機関区史上唯一の新製配置トップナンバーSL) | ||
| 1914-6-3-0 | 午前9時より天候悪く暴風雨来襲猛烈を極め、真幸駅を発車した3103号機の244列車は、避難のいとまもなく客車4台中3台が転覆、旅客13人中1人軽傷、八代発5725号機の202列車は、停車中暴風雨を受け客車5台、貨車1台転覆、乗客7人なるも無事 | 244列車の客車ホハ6789+オロハ15872+ホユニ8699+オハフ7750 この3103号機が人吉機関庫史に見られる3100形式についての最後の記録で、4110形式の配置により、この頃から大正4年にかけて全て転出したものと思われる | |
| 1914-7-28-0 | 第1次世界大戦ヨーロッパで勃発 | ||
| 1914-8-25-0 | 人吉機関庫から乗務員4組と検車手1名を早岐機関庫へ出張させる | 23日日本がドイツに宣戦布告、長崎線での特別輸送が開始されたため | |
| 1914-10-2-0 | 4110型のカーブでのタイヤフランジ偏耗が大きく、輌数が少ない列車は人吉・吉松間前向き運転とする | 山線は急勾配が続きトンネルが多いために運転台の煤煙対策として後ろ向き運転を原則としていた | |
| 1914-12-20-0 | 東京駅開業、東海道線の起点となり、呉服橋(仮)を廃止、新橋を汐留、烏森を新橋と改称 | ||
| 1914-12-0-0 | 人吉機関庫配置機関車タンク13輌、テンダー10輌、計23輌 | タンク4110形12輌と3100形1輌、テンダー全て5700形 | |
| 1915-3-31-0 | 人吉駅上り乗降場(1番ホーム)洗面所改築工事竣成 | 下り乗降場(2・3番ホーム)洗面所も9月6日改築工事竣工、冬期にお湯が提供できるようになる | |
| 1915-4-13-0 | 矢岳トンネル西坑門口隧道開閉幕取扱廃止 | この年機関車の輸入を止め、全て国産化となる | |
| 1915-12-21-0 | 人吉駅貨物取扱室4坪拡張工事落成 | ||
| 1916-3-28-0 | 人吉駅跨線橋が建設され、4月5日から使用開始 | 上り乗降場(1番ホーム)と下り乗降場(2・3番ホーム)をつなぐ |