| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1940-9-27-0 | 日独伊三国軍事同盟調印 | ||
| 1940-12-25-0 | 人吉機関区にD518号配置 | 人吉最初のD51形式、大里、鳥栖を経て配置、翌年10月21日鳥栖転出、吉松を経て1973年(昭和48年)厚狭廃車、尼崎市大物公園で保存、初めての矢岳越えD51だが、人吉での10ヶ月間はこの試運転記録以外不詳、この後も1970年(昭和45年)のD51587号まで24輌ものD51が配置された | |
| 1941-1-24-0 | 東人吉駅ホームを人吉方に40m延伸 | ||
| 1941-3-5-0 | 人吉・吉松間でD518号試運転 | ||
| 1941-5-24-0 | 人吉機関区にD51258号配置 | 戦前にローカル線に最初に正式運用で入ったD51と考えられ、背景に都城などへの軍事輸送の強化があり、戦時中にもD51配置が続いた | |
| 1941-10-21-0 | 人吉機関区に最初で最後のC10形式C1022号とC1023号配置 | C1190号とC1191号の転出によるものだが、C10形式の方が古い機関車、人吉最後の小型機配置 | |
| 1941-12-8-0 | 日本が真珠湾でアメリカ軍を攻撃し太平洋戦争開戦 | ||
| 1942-2-11-0 | 人吉町、藍田村、西瀬村、中原村が合併し市制施行で人吉市となる(人口33,757人、6773世帯) | ||
| 1942-3-27-0 | 関門トンネル第1線貫通し4月12日竣工式(7月1日貨物列車運転開始、11月15日旅客列車運転開始) | ||
| 1942-9-26-0 | 鉄道省時刻呼称24時間制を制定、10月11日実施、以後一般に普及 | ||
| 1942-12-21-0 | 葉木仮乗降場、大坂間仮乗降場開業 | ||
| 1943-2-1-0 | ガダルカナル島撤退開始 | ||
| 1943-2-15-0 | 臨戦ダイヤ実施、陸運非常体制の確立により優等列車を大幅削減 | ||
| 1943-5-29-0 | アッツ島守備軍玉砕 | ||
| 1943-10-1-0 | 時刻改正、決戦ダイヤ実施、急行旅客列車削減と速度低下、貨物列車を増発 | ||
| 1943-10-5-0 | 関釜航路崑崙丸が潜水艦攻撃で沈没 | ||
| 1943-12-1-0 | 第1次学徒出陣 | ||
| 1944-2-0-0 | 人吉機関区配置蒸気機関車 D51形式2輌、4110形式8輌、8620形式9輌、C10形式2輌、計21輌 | この月西村(にしのむら・現錦町)高原(たかんばる)に人吉海軍航空隊基地開設 | |
| 1944-4-1-0 | 時刻改正、決戦非常措置要綱実施、1等車、寝台車、食堂車を全廃、貨物列車増発 | ||
| 1944-4-27-0 | 人吉駅に熊本管理部長と輸送課長を招き、9時から空襲に備え客貨車・機関車の分散訓練実施、13時から研究会開催 | ||
| 1944-5-10-0 | 名古屋管内に初めての女子車掌登場 | ||
| 1944-7-7-0 | サイパン島玉砕 | ||
| 1944-8-8-0 | 関門トンネル第2線開通、第1線を上り新線に切り替えて修理に着手 | ||
| 0-0-0-0 | この頃から人吉出身高木惣吉海軍少将が井上成美海軍次官からの終戦工作の密名を受け戦争終結に向け奔走 | ||
| 1944-9-9-0 | 関門トンネル複線運転開始 | ||
| 1944-10-11-0 | 肥薩線経由門司港・都城間1往復直通列車運転開始(本州方面と軍都の熊本や都城を結ぶ) | 時刻改正、戦時陸運非常体制実施、貨物列車と通勤列車を増発、急行列車削減と速度低下を図る | |
| 1944-10-19-0 | 神風特別攻撃隊編成 | ||
| 1944-11-29-0 | B29東京初空襲 | ||
| 1945-3-10-0 | 東京大空襲 | ||
| 1945-3-18-0 | (この年人吉駅前広場に防空壕が掘られた) | 米艦載機が2回にわたり延べ23機で初の人吉空襲、高原(たかんばる)の人吉海軍航空隊兵士10名戦死、三菱航空機関係者14名と村民4名も死亡 |
| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1940-9-27-0 | 日独伊三国軍事同盟調印 | ||
| 1940-12-25-0 | 人吉機関区にD518号配置 | 人吉最初のD51形式、大里、鳥栖を経て配置、翌年10月21日鳥栖転出、吉松を経て1973年(昭和48年)厚狭廃車、尼崎市大物公園で保存、初めての矢岳越えD51だが、人吉での10ヶ月間はこの試運転記録以外不詳、この後も1970年(昭和45年)のD51587号まで24輌ものD51が配置された | |
| 1941-1-24-0 | 東人吉駅ホームを人吉方に40m延伸 | ||
| 1941-3-5-0 | 人吉・吉松間でD518号試運転 | ||
| 1941-5-24-0 | 人吉機関区にD51258号配置 | 戦前にローカル線に最初に正式運用で入ったD51と考えられ、背景に都城などへの軍事輸送の強化があり、戦時中にもD51配置が続いた | |
| 1941-10-21-0 | 人吉機関区に最初で最後のC10形式C1022号とC1023号配置 | C1190号とC1191号の転出によるものだが、C10形式の方が古い機関車、人吉最後の小型機配置 | |
| 1941-12-8-0 | 日本が真珠湾でアメリカ軍を攻撃し太平洋戦争開戦 | ||
| 1942-2-11-0 | 人吉町、藍田村、西瀬村、中原村が合併し市制施行で人吉市となる(人口33,757人、6773世帯) | ||
| 1942-3-27-0 | 関門トンネル第1線貫通し4月12日竣工式(7月1日貨物列車運転開始、11月15日旅客列車運転開始) | ||
| 1942-9-26-0 | 鉄道省時刻呼称24時間制を制定、10月11日実施、以後一般に普及 | ||
| 1942-12-21-0 | 葉木仮乗降場、大坂間仮乗降場開業 | ||
| 1943-2-1-0 | ガダルカナル島撤退開始 | ||
| 1943-2-15-0 | 臨戦ダイヤ実施、陸運非常体制の確立により優等列車を大幅削減 | ||
| 1943-5-29-0 | アッツ島守備軍玉砕 | ||
| 1943-10-1-0 | 時刻改正、決戦ダイヤ実施、急行旅客列車削減と速度低下、貨物列車を増発 | ||
| 1943-10-5-0 | 関釜航路崑崙丸が潜水艦攻撃で沈没 | ||
| 1943-12-1-0 | 第1次学徒出陣 | ||
| 1944-2-0-0 | 人吉機関区配置蒸気機関車 D51形式2輌、4110形式8輌、8620形式9輌、C10形式2輌、計21輌 | この月西村(にしのむら・現錦町)高原(たかんばる)に人吉海軍航空隊基地開設 | |
| 1944-4-1-0 | 時刻改正、決戦非常措置要綱実施、1等車、寝台車、食堂車を全廃、貨物列車増発 | ||
| 1944-4-27-0 | 人吉駅に熊本管理部長と輸送課長を招き、9時から空襲に備え客貨車・機関車の分散訓練実施、13時から研究会開催 | ||
| 1944-5-10-0 | 名古屋管内に初めての女子車掌登場 | ||
| 1944-7-7-0 | サイパン島玉砕 | ||
| 1944-8-8-0 | 関門トンネル第2線開通、第1線を上り新線に切り替えて修理に着手 | ||
| 0-0-0-0 | この頃から人吉出身高木惣吉海軍少将が井上成美海軍次官からの終戦工作の密名を受け戦争終結に向け奔走 | ||
| 1944-9-9-0 | 関門トンネル複線運転開始 | ||
| 1944-10-11-0 | 肥薩線経由門司港・都城間1往復直通列車運転開始(本州方面と軍都の熊本や都城を結ぶ) | 時刻改正、戦時陸運非常体制実施、貨物列車と通勤列車を増発、急行列車削減と速度低下を図る | |
| 1944-10-19-0 | 神風特別攻撃隊編成 | ||
| 1944-11-29-0 | B29東京初空襲 | ||
| 1945-3-10-0 | 東京大空襲 | ||
| 1945-3-18-0 | (この年人吉駅前広場に防空壕が掘られた) | 米艦載機が2回にわたり延べ23機で初の人吉空襲、高原(たかんばる)の人吉海軍航空隊兵士10名戦死、三菱航空機関係者14名と村民4名も死亡 |