| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1946-11-3-0 | 日本国憲法公布 | ||
| 1947-1-4-0 | 旅客列車を大幅削減し1日の運転粁を15万kmとする 急行列車全廃、2等車の連結停止 | ||
| 1947-1-31-0 | GHQ、2.1ゼネストの中止指令 | ||
| 1947-2-22-0 | 人吉・熊本間で28日までC55形式を運転(3月2日~7日と9日にも運転) | 戦後復興期、人吉機関区機関車の運用不足のためと思われるが詳細不明 | |
| 1947-3-1-0 | 葉木および大坂間仮乗降場が駅昇格 | 駅長が配置される | |
| 1947-3-11-0 | 湯前線でC12形式を試運転 | 詳細不明 | |
| 1947-3-0-0 | C10形式運転 | 1941年(昭和16年)配置後まだ人吉にいたことの分かる記録 | |
| 1947-4-24-0 | 急行列車と2等車復活 | ||
| 1947-5-1-0 | 国鉄保養施設枕流荘を人吉市に設置 | 10年後国鉄バス温泉町行に繋がる | |
| 1947-6-25-0 | 人吉機関区4110号、4111号、4112号、4135号の4輌廃車 | 4111号は2年前の事故状態のまま廃車(回送不能2年後構内で解体) | |
| 1947-6-29-0 | 旅客列車の第3次復活(一部は6月21日より)、各幹線に急行、準急行列車を復活 | ||
| 1948-1-10-0 | (この年人吉機関区石造り機関庫西側に鉄骨造りで大きく機関庫増築) | 区間貨物路線人吉・五木間47km開通、人吉自動車区開設 | |
| 1948-2-0-0 | E10形式蒸気機関車誕生、国産最後の蒸気機関車となる | ||
| 1948-7-1-0 | 時刻改正、急行列車の速度低下、準急列車増発を図る | ||
| 1948-11-10-0 | 特別寝台車(翌年1等寝台車に改称)マイネ40が登場 | ||
| 1949-5-12-0 | 人吉機関区にE10形式E101号とE102号を配置、この後14日にE104号、15日にE105号、18日にE103号の順で全5輌が入る(E101号は人吉機関区最後のトップナンバーSLとなる) | 奥羽本線福島・米沢間の電化により庭坂での運用がなくなり人吉へ配置、しかし、カーブの多い山線ではレールへの負担が大きく線路補修や空転の問題などで嫌われわずか半年で金沢へ転出、最後は米原に配置されたが期待どおりの活躍をすることなく11~15年の短命に終わる | |
| 1949-6-1-0 | 公共企業体「日本国有鉄道」発足 | ||
| 1949-7-4-0 | 国鉄の定員法に基づく第1次人員整理通告全国で3万7千人 | ||
| 1949-7-6-0 | 下山国鉄総裁の轢死体が北千住・綾瀬間線路上で発見される | ||
| 1949-7-13-0 | 国鉄の定員法に基づく第2次人員整理通告全国で6万3千人 | ||
| 1949-7-15-0 | 三鷹事件になる事故(三鷹駅構内で無人電車暴走し死者25名)発生 | ||
| 1949-8-17-0 | 松川事件になる事故(東北線松川・金谷間で旅客列車が転覆、機関車乗務員3名即死、乗客9名負傷)発生 | ||
| 1949-9-15-0 | 時刻改正、東海道・奥羽本線の電化、大型機関車の増強により、特急列車復活、急行列車増発、速度向上 | ||
| 1950-2-17-0 | 午後9時8分頃、那良口・渡間で山側高さ30m幅40mが崩れレールがわん曲していたため、人吉行臨3127レの機関車が3m下の道路に転落、客車は3輌目まで傾くも炭水車に支えられ転落はまぬがれる | 編成は78628号牽引客車7輌で乗客563名の三社参り帰路 機関士は重傷、機関助士は重体となるも乗客は1名がほんの軽傷で済む 78628号は1950年(昭和25年)6月29日人吉廃車となる | |
| 1950-6-25-0 | 朝鮮戦争勃発 | ||
| 1950-8-1-0 | 機構改革により熊本鉄道管理局設置 | ||
| 1950-10-1-0 | 時刻大改正、急行列車を増発、速度向上、食堂車、特別2等車の増備により輸送サービスを向上 | ||
| 1950-11-2-0 | 急行列車に愛称が付く 「明星」「彗星」「阿蘇」「霧島」「雲仙」「筑紫」「安芸」「みちのく」「北斗」「青葉」「日本海」「北陸」 | ||
| 1951-4-1-0 | 検車区、車電区廃止し客貨車区設置、機械工事区廃止し機械区設置 | ||
| 1951-7-16-0 | 信号通信区、信号区、通信区設置 |
| 年月日 | 内容 | 備考 | 写真・動画・リンク |
|---|---|---|---|
| 1946-11-3-0 | 日本国憲法公布 | ||
| 1947-1-4-0 | 旅客列車を大幅削減し1日の運転粁を15万kmとする 急行列車全廃、2等車の連結停止 | ||
| 1947-1-31-0 | GHQ、2.1ゼネストの中止指令 | ||
| 1947-2-22-0 | 人吉・熊本間で28日までC55形式を運転(3月2日~7日と9日にも運転) | 戦後復興期、人吉機関区機関車の運用不足のためと思われるが詳細不明 | |
| 1947-3-1-0 | 葉木および大坂間仮乗降場が駅昇格 | 駅長が配置される | |
| 1947-3-11-0 | 湯前線でC12形式を試運転 | 詳細不明 | |
| 1947-3-0-0 | C10形式運転 | 1941年(昭和16年)配置後まだ人吉にいたことの分かる記録 | |
| 1947-4-24-0 | 急行列車と2等車復活 | ||
| 1947-5-1-0 | 国鉄保養施設枕流荘を人吉市に設置 | 10年後国鉄バス温泉町行に繋がる | |
| 1947-6-25-0 | 人吉機関区4110号、4111号、4112号、4135号の4輌廃車 | 4111号は2年前の事故状態のまま廃車(回送不能2年後構内で解体) | |
| 1947-6-29-0 | 旅客列車の第3次復活(一部は6月21日より)、各幹線に急行、準急行列車を復活 | ||
| 1948-1-10-0 | (この年人吉機関区石造り機関庫西側に鉄骨造りで大きく機関庫増築) | 区間貨物路線人吉・五木間47km開通、人吉自動車区開設 | |
| 1948-2-0-0 | E10形式蒸気機関車誕生、国産最後の蒸気機関車となる | ||
| 1948-7-1-0 | 時刻改正、急行列車の速度低下、準急列車増発を図る | ||
| 1948-11-10-0 | 特別寝台車(翌年1等寝台車に改称)マイネ40が登場 | ||
| 1949-5-12-0 | 人吉機関区にE10形式E101号とE102号を配置、この後14日にE104号、15日にE105号、18日にE103号の順で全5輌が入る(E101号は人吉機関区最後のトップナンバーSLとなる) | 奥羽本線福島・米沢間の電化により庭坂での運用がなくなり人吉へ配置、しかし、カーブの多い山線ではレールへの負担が大きく線路補修や空転の問題などで嫌われわずか半年で金沢へ転出、最後は米原に配置されたが期待どおりの活躍をすることなく11~15年の短命に終わる | |
| 1949-6-1-0 | 公共企業体「日本国有鉄道」発足 | ||
| 1949-7-4-0 | 国鉄の定員法に基づく第1次人員整理通告全国で3万7千人 | ||
| 1949-7-6-0 | 下山国鉄総裁の轢死体が北千住・綾瀬間線路上で発見される | ||
| 1949-7-13-0 | 国鉄の定員法に基づく第2次人員整理通告全国で6万3千人 | ||
| 1949-7-15-0 | 三鷹事件になる事故(三鷹駅構内で無人電車暴走し死者25名)発生 | ||
| 1949-8-17-0 | 松川事件になる事故(東北線松川・金谷間で旅客列車が転覆、機関車乗務員3名即死、乗客9名負傷)発生 | ||
| 1949-9-15-0 | 時刻改正、東海道・奥羽本線の電化、大型機関車の増強により、特急列車復活、急行列車増発、速度向上 | ||
| 1950-2-17-0 | 午後9時8分頃、那良口・渡間で山側高さ30m幅40mが崩れレールがわん曲していたため、人吉行臨3127レの機関車が3m下の道路に転落、客車は3輌目まで傾くも炭水車に支えられ転落はまぬがれる | 編成は78628号牽引客車7輌で乗客563名の三社参り帰路 機関士は重傷、機関助士は重体となるも乗客は1名がほんの軽傷で済む 78628号は1950年(昭和25年)6月29日人吉廃車となる | |
| 1950-6-25-0 | 朝鮮戦争勃発 | ||
| 1950-8-1-0 | 機構改革により熊本鉄道管理局設置 | ||
| 1950-10-1-0 | 時刻大改正、急行列車を増発、速度向上、食堂車、特別2等車の増備により輸送サービスを向上 | ||
| 1950-11-2-0 | 急行列車に愛称が付く 「明星」「彗星」「阿蘇」「霧島」「雲仙」「筑紫」「安芸」「みちのく」「北斗」「青葉」「日本海」「北陸」 | ||
| 1951-4-1-0 | 検車区、車電区廃止し客貨車区設置、機械工事区廃止し機械区設置 | ||
| 1951-7-16-0 | 信号通信区、信号区、通信区設置 |